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MARS(マーズ)は、日本の格闘技イベント。リング上で総合格闘技を主として、キックボクシングや女子総合格闘技も行われていた。興行のエグゼクティブ・プロデューサーはトリニティ代表取締役の天野勇気。オフィシャルジムとして闘神塾が存在した〔世界の“未知強”集結の-83kgトーナメント開催 BoutReview 2006年7月13日〕。 == 沿革 == 2005年12月22日にMARSの発足が記者発表され、翌年2月4日に有明コロシアムで旗揚げ大会が開催された。GCMコミュニケーションの「MARSプロジェクト」が企画・製作を行い、株式会社トリニティの天野勇気がMARSチーフプロデューサーに就任、K-1やHERO'Sを運営するFEGの谷川貞治が選手派遣で協力していく体制で発足した〔新格闘技イベント「MARS」旗揚げ 光岡vsシャオリンほか2カードが発表 スポーツナビ 2005年12月23日〕〔【MARS】2・4 GCMコミュニケーションが新イベントを旗揚げ 格闘技ウェブマガジンGBR 2005年12月22日〕。 旗揚げ興行は翌年2月4日に有明コロシアムで開催された。同日には、FEGが主催するK-1 WORLD MAXが、さいたまスーパーアリーナで開催されている。 4月29日の韓国での第2回大会からは、トリニティのMARS事務局が主催者となる体制となり、引き続きGCMコミュニケーションの「MARSプロジェクト」との協力で大会を行った。5月13日、幕張メッセでの第3回大会「MARS World Fighting GP」では、新たにキックボクシングルールの試合も組み込まれたが〔【MARS】岡見、メインで快勝! ロバーツがコーベットをKO 格闘技ウェブマガジンGBR 2006年5月13日〕、GCMコミュニケーションとはこの大会をもって協力体制を解消した〔新生MARS、8月両国で-83キロ級トーナメント開催 世界各国と提携、新世代のスーパースター発掘へ スポーツナビ 2006年7月12日〕。 旗揚げ当初より、大会場での興行開催や韓国を主としたアジア市場への海外進出を見据えたイベントを目指していたが〔、観客動員数で苦戦。大会の中でエキシビションと称してプロレスを実施したり、マッチメイクやずさんな大会運営が酷評された〔。 批判を受けて、第3回大会後にMARSは再び体制を一新してリニューアルした。新体制は、日本人発掘のための新たなシリーズ「MARS ATTACK」の第1弾大会である7月21日の新宿FACEでの「MARS ATTACK 01」を皮切りに、世界の未知の強豪の発掘と、新時代を担う日本人スター選手の育成を主軸とする方向性を定めて始動した〔〔〔【MARS】8・26 アメリカMFCと提携、王者エディ・アルバレスが参戦 格闘技ウェブマガジンGBR 2006年7月12日〕。表舞台には出なかったものの、格闘技ニュースサイトBoutReviewの井田英登編集長がこの新体制に加わり、「MARS ATTACK 01」でアドバイザーをしていた〔井田英登「ガックリな人々、ガックリな夏(8.17ちょこっと加筆版) 」 2006年8月16日〕。「MARS ATTACK 01」ではフリー選手を公募してMARS専属契約として育成する方針を打ち出し、ロストポイント制の総合格闘技の新ルールを導入したり、女子総合格闘技のカリーナ・ダム対MIKUをマッチメイクを行うなど新たな試みが行われた〔MARS 7.21 新宿:MIKU×カリーナ他決定|新ルールはUWF+柔術? BoutReview 2006年7月20日〕。しかしレフェリーのルール認識不足等の不手際が目立ち、MIKU選手の代理人であるDEEPの佐伯繁代表が抗議を行うなど物議を醸した〔【MARS】8・26 DEEP・佐伯代表が会見場に乱入! MIKUとカリーナの再戦なるか!? 格闘技ウェブマガジンGBR 2006年8月8日〕〔世界各国から未知なる強豪が集結=8.26MARS 米国・MFC王者アルバレスも日本初登場 スポーツナビ 2006年8月25日〕。そして、スタッフの井田英登もMARS運営陣と衝突した末に、大会後に自身のブログでMARSの内情を暴露して、3か月でMARSから退いた〔〔井田英登「狂犬兄弟の格闘プロデューサー講座(1) 」 All About 2006年10月31日〕。新宿FACEを拠点に新シリーズとして展開するはずだった「MARS ATTACK」〔も「MARS ATTACK 01」の1回きりで終わった。 2006年6月にアメリカの総合格闘技大会「MFC」(BodogFight)と業務提携を結んだことで、8月26日の両国国技館の「MARS 04 NEW DEAL」からMFCで闘う外国人選手たちがMARSのリングで闘うようになり、83kgトーナメントが開催されたが〔、BodogFightとの提携関係は2006年内で終了した〔【パンクラス】bodogファイトとの提携を発表、選手の交流がスタート 格闘技ウェブマガジンGBR 2007年1月26日〕。 2007年4月15日のディファ有明での「MARS 07 TORNADO RETURNS」からは、「MARSブラスターバウト・ルール」と称したオープンフィンガーグローブを用いる投げ技と立ち関節技も解禁されたキックボクシングルールが制定され、興行に組み込まれるようになった〔【マーズ】大将戦で杉内敗れ、日本勢は1勝も出来ず。対抗戦は韓国が3勝で2無効試合 格闘技ウェブマガジンGBR 2007年4月15日〕。 旗揚げ2年目の2008年には、8名参加の72kg級MARSブラスターバウト初代王者決定トーナメントを開催した。2月11日に新宿FACEで「MARS11 2nd ANNIVERSARY」を行い〔【MARS】2・11旗揚げ2周年記念大会でParkyVS野沢、フンVS瓜田が決定 格闘技ウェブマガジンGBR 2008年1月18日〕、2008年5月10日に新宿FACEで「MARS 12 THE ROAD TO GOD」が開催された。しかし、トーナメントの決勝戦が行われないまま、「MARS 12」を最後にMARSは活動を停止した〔5.10 新宿:ベ・ミョンホ、井上裕貴に判定勝ち BoutReview 2008年5月12日〕〔365人インタビュー interview157 浦野貴之 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年8月31日〕〔마즈 사실상 폐업, 송언식-배명호 등 자유계약선수로 MFIGHT 2009年2月3日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「MARS (格闘技イベント)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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